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いま、保坂和志さんの次のような文章を目にして、ふっとブログを書きたくなった。 「芸術というのはつねに何かを心に留めて、結論に安易に逃げ込まずに心を宙吊り状態にしたまま、世界に対して注意を払いつづける人にしか働きかけない。そこで語られる言葉は、たくさんの人に通じる、科学的思考の中でも最も大ざっぱな思考を基盤としている日常的思考様式で語られる言葉ではない」 そしてこれはだいぶ以前に読んだものだけれど、菅啓次郎さんの「コヨーテ読書」より。 「『芸術など生存には何の役にも立たない』という古人の言葉に対して、道元は『人間の欠えをみたすのは芸術しかなく、芸術に表現された欠乏を知らなければおまえは人間の存在条件を自覚して真の人間となることはない』と大見得を切ってみせるのだ。われわれの人生は一枚の画であり、だからこそ画に描いた餅が力を持つ。人生は言語の描き出す文様であり、だからこそ詩がある本質的な力を持つ」 こうした言葉に出会うと、日常のなかでふっと正気を取り戻すことができる。深謝。
by koikehidefumi
| 2010-10-26 06:56
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