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週末に渋谷でスライドショーをやらせてもらうことになっていて、昨日はその作品をピックアップしていた。 テーマは「ガンジス」。 ただガンジスといっても最近はヴァラナシなどあまりポピュラーな場所では撮っていない。そこで昔のポジなどを引っ張りだしてきて久しぶりに眺めてみた。 もっとも古いものは1995年の撮影。 機材はオリンパスのOM-1。中野のフジヤカメラでDランク保証なしを10000円ぐらいで買ったものだ。 もう17年も前のことか、と思いながら、とっさに17年という数字が出てきたのも、連日耳にする菊池直子潜伏17年とか、17年の逃亡の末に高橋克也逮捕という報道が大きく影響してのことは間違いない。 あの年は1月17日に阪神淡路大震災が発生し、そして3月20日にオウムのサリン事件が起こった年だった。そんな騒然とした空気にあと押しされるようにして、4月の初旬にはじめてアジアの旅へ向かったのをよく覚えている。 だれでも簡単に海外旅行にゆける時代、「旅」にあまり意味付けをするのもリキみ過ぎかと思うけれど、旅はいつも時代と密接な関わりのなかで行われてきた。 たとえば金子光晴は、5年にわたる海外放浪の出発点を関東大震災に見いだし、その天災について次のように記している。 「なんらかの意味で、過去の完成に支えられていた僕自身の精神の拠点が(関東大震災によって)揺らぎだしたとともに、日本の崩壊も、そのときにはじまったようにおもえてならない」 金子光晴の旅はそうした違和感を抱えての道行きだったことだろう。 そしてたとえば、藤原新也は近代化する日本への違和感を携えての旅だったに違いない。時代や社会に違和感を覚えず充足した日々を過ごしていれば、だれも旅に出る必要などもしかしたらないのかもしれない。 「金とセックス以外にいまの日本に何があるのですか」 1995年、ある小説家が青山のオウム教団事務所でインタビューを行った際、信者の一人がそう答えたという。バブルは崩壊していたとはいえ、まだ享楽の余燼がくすぶっていた時期だった。小説家はたしか返答に窮したのだったと記憶している。 同じ時代を生きる者として、ぼくもどこかそんな違和感を携えて当時日本をあとにしたのだと思う。そしてふと気づくと、17年間「ガンジス」というイコンを抱いて生きてきたのだなぁ、と思うとき、17年間尊師の写真を抱いてきた高橋のことが、ちょっと切なく思えたりもするのだった。
by koikehidefumi
| 2012-06-21 16:25
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