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鬼海弘雄さんの写真展「INDIA 1982〜2011」のステートメントを読みながら、改めて沸いてきたごく個人的な感想を少しだけ。 というのは、タイトルにもなっている1982年〜2011年という時代が、ぼくの記憶のなかでとても意味深いものに思えてきたからだ。 時代には節目というのがある。もちろんそれは人によってまちまちかもしれないけれど、たとえば太平洋戦争が終結した1945年、それに続いて学生(全共闘)運動やカウンターカルチャー高揚期の1969年。そのあたりがぼくの思い浮かべるまず最初の時代の節目。 そして、次に来るのが1982年ということになる。ぼくがちょうど高校生の頃だ。当時、ひょんなことからカリフォルニアのある家庭に居候させてもらった時期があった。向こうの高校をなんとか卒業して、そして一年ぶりに日本に帰ってきてみると、日本がなんとカリフォルニア!なっていて、えらく仰天したことがあった。1982年のことだった。 とにかく「陸(おか)サーファー」って言葉が出現した時代だった。街中にはヤシの木立やらオープンカーやら砂浜やらのポスターが溢れかえっていた。純喫茶はトロピカルカフェになり、友人の兄貴がやっていたスナックはカフェバーになっていた。スナックの壁を飾っていた「トラック野郎一番星!」のポスターは鈴木英人のイラストに差し替えられ、カーテンで閉ざされていた窓際にはバドワイザーやクアーズのネオンサインが輝いていた。なによりも驚いたのは、友人たちのファンションの変化だ。そり込み頭でドカジャンとかスカジャンとかを着て頭の悪さを競い合っていたぼくの仲間たちが、一年振りに顔を合わせてみると、サラサラのヘタースタイルで「O'NEILL」とか「UCLA」とかのトレーナーを着て爽やかに変身していたのだ!これには心底ぶったまげた! 街も人も、どこまで明るく軽薄になれるかを競い合ったような時代だった。それと同時に、生活の隅々まで管理が行き渡り、あらゆる面に効率や利益を重視する経済原理の支配が確立されたのもこの時期だった気がする。つまり、戦後の急激な経済成長がひと段落して、いまに続くいわゆる消費社会がスタートしたのがあの時代ではなかったか。 ここで話を戻すと、そんな白々と浮き立つ東京の街を、あの鬼海さんがどう彷徨っていたのか。まったく想像しがたい。そして、そんな日本をあとにして鬼海さんはインドへ向かった。奇妙な明るさに包まれてゆく日本をあとにして見たインドの風景は、写真家にとってまた格別な意味合いを持ったのではないだろうか。 さて、もうひとつの時代の節目としての2011年について。この年が何を意味するかは記憶に新しい。東日本大震災。津波と原発事故を目の当たりにして、自分たちの繁栄がいかにもろく危ういものの上に成り立っていたか、誰もが一度は省みた一年だったはずだ。 つまり、1982年〜2011年という時代には、日本における大量消費社会の享楽と挫折の軌跡がくっきりと描き出されているのではないか。そして、この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと悟ったいま、わたしたちはどのような未来を思い描こうとしているのか。実際、わたしたちの価値意識は震災以降変わったのか、変わらなかったのか。大量生産、大量消費、大量廃棄による資本主義とその根底にある成長神話の終焉を誰もが目の前にひしひしと感じながら。 そんなことをぼんやりと考えながら、鬼海さんのステートメントを改めて読み返してみる。すると、祈りにも似たその慈しみ深い言葉がしんしんと胸に響いてくるのだった。 『今や人間はあまりにも急激な文明の進歩に、世界の誰でも舵が壊れた舟にのっているような気分になって近未来にさえ不安を抱き立ち竦んでいるようにみえる。プリミティブな旅は、懐かしさは単なる過去への一方的視点だけではなく、身体性に裏打ちされた「未来への夢」を育むかもしれないという妄想を募らせてくれる。人類は、現在私たちが思い込んでいるよりはるかに美しい生きものだという仮説の舟が、未来への時間を運ぶはずだと…』 インドを旅した人間に向けられる定番の質問がひとつある。 それは、「インドに行くと人生観が変わるって言われていますが、どうでしたか?」というものだ。その質問を受けるたびに、YESともNOとも言えずに口ごもってきたけれど、鬼海さんならきっとこんなふうに答えてくれるのではないだろうか。いや、こんなふうに答えてくれならいいな、とつい思ってしまう。 「人生観が変わったというのはちょっと違う気がするな。そうじゃなくて、むしろ自分は間違っていないんじゃないか、ここに帰ってきただけなんじゃないか、そう思えて少しホッとしたな…」何千年に渡って脈々と受け継がれてきた人間の営みにはそれだけで普遍的価値があるのではないか。「懐かしい未来」と題されたステートメントのなかで写真家はこう記している。 『雪に閉じ込められる(私の生まれ育った)村と、椰子がゆれブーゲンビリアが咲く南国の村の暮らしぶりが似ているといえば、ふしぎに響くかもしれない。だが、人間の自然に包まれた質素な暮らしは、本来、古今東西さほどの違いはない』
by koikehidefumi
| 2014-05-17 15:32
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