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by koikehidefumi
| 2018-02-01 01:55
ほぼ冷温停止中の自分のWEBやブログを久しぶりにチェックしたところ、アクセスが飛躍的に伸びていたのでどうしたことかと思いきや、そうそう、新聞連載がWEBでもはじまっておりました! 産経ニュースWESTをはじめ、どういう経緯かgooニュースやlivedoorニュースでも!そろそろ自分のWEBやブログもきちんと作り直さないとなぁ。 #
by koikehidefumi
| 2017-05-30 08:48
![]() この週末は、井津建郎さんがニューヨークから展示に駆けつけてくださった! 成田から直接お越しいただき、翌朝にはバンコクに発つという過密スケジュールのなか、広川泰士さんもお誘いして閉廊後は楽しい宴となった。 今回の自分の展示構成を考えるなかで、常に念頭にあったのが、昨年5月にここコニカミノルタプラザで行われた井津さんの「ブータン内なる聖地」だった。 またもうひとつ、昨年清里フォトミュージアムで行われた「インド 光のもとへ」もいつも頭から離れなかった。 そこで撮影されれていたのは、荼毘、解脱、寡婦、孤児…という存在だった。 地球環境も、政治も、経済も、教育も、文化も、生活も、未来への想いも絶望的に疲弊しきった世の中で、何かを糾弾することにどんな意味があるのだろう。下の写真の紅一点の中瀬裕ちゃんは、今回ぼくの写真集のブックデザインやDMデザインを手がけてくれた二十代のデザイナーだけれど、はじめて打ち合わせをしたときの彼女の言葉をいまもありありと思い出すことができる。「呪われた世代」と彼女は自らを称して言った。もちろん、その言葉にどれほどのリアリティーが込められているかはわからない。だが、自分の娘のような年齢の若者がそう口にするのを耳にするとき、大人である自分は社会に対してどう責任を負えばいいのだろうか。原発も、基地も、年金も、選挙制度も、批判批評することは誰にでもできる。しかし、たとえば声高に伝えられると逆に耳が逆らってしまうように、ぼくら伝え手は想いの届け方をこれまであまりに安直に繰り返してきたのではないだろうか。社会に対してもう少し違う届け方を模索してゆかなくてはいけないのではないだろうか。 さて、少し話が飛んだけれど、井津さんからは1月1日の元日に「観に行きます」とご連絡をいただいた。 ちょうどその頃、ぼくは展示が近づきかつてないプレッシャーを感じていた。それでも展示前にミャンマー行きの仕事もあって、プリント作業に追われ正直とてもナーバスになっていた。 「バウハウス展の作品に苦悶しています」 井津さんも(というのもおこがましいけれど)、2月1日から 御茶ノ水のバウハウスで新作の展示が予定されていた。そしていま、まさにその追い込みで苦悶されているらしい。あの井津さんでも作品作りで苦悶されるものなのか。正月早々海の向こうで戦っていらっしゃるのか。 そう知ると、俄然気持ちが前向きになった。 #
by koikehidefumi
| 2017-02-01 09:58
![]() すると、会場を何度も周回していた白髪の男が近づいてきて、深く吐息をつくように語りかけてきた。 「いやぁ、驚いた…。びっくりした…。凄いよ。凄い。こんな写真があるんだね。こんな表現があるんだね。いいものを拝見させてもらった…。ありがとう。ありがとう」 どこかで見た顔だった。 声にもどこか聞き覚えがあった。 直接お会いしたのではない。 テレビかなにかで見たのかな? そんなことを思っていると、男はまた会場内をぐるりと見渡して、「ありがとう、ありがとう」とつぶやくように言った。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。 「ありがとうございます」とぼくも頭を下げた。 「橋口です」と男は言った。 あっ、と思った。 「橋口譲二」さんですか、と横にいた友人が尋ねた。 「はい、いただいたDMがとてもよかったので、来てみました。びっくりした。こんな写真が撮れるんですね。素晴らしかった。素晴らしかった」 顔を上気させながら、それでもゆったりとした口調で橋口さんは同じ言葉を繰り返した。 橋口さんの著書にもっとも親しんだのは、ぼくがまだカメラを手にする前の90年代の半ばだったと思う。 「十七歳の地図」「視線」「職」「ベルリン物語」。 時代を写した丹念な取材と、穏やかでありながら凛として骨太なその写真群は、音楽表現にどこか子供騙し的なむなしさを覚えはじめていた当時のぼくに、カメラを手にするきっかけを与えてくれたように思う。 荒木さんも森山さんもあるいは藤原新也さんも格好良くて華があるけれど、あのような人間的煌めきは自分にはない以上、橋口さんのような粘り強い地道なスタイルが合っているのではないか。そんな風に感じていたのだった。(もっとも、その肝心の粘り強さが自分には欠如していることがすぐに露呈するのだけれど‥) 写真の話、文学の話、共通の友人の話、そんな話にひとしきり花を咲かせたのち、橋口さんは帰ってゆかれた。 「写真も、そして日本も、まだまだ捨てたもんじゃないんですね。教えられたなぁ。来てよかった。ほんとうにびっくりした。ありがとう。ありがとう」 橋口譲二というその孤高の写真家と交わした会話の一つひとつを思い返しながら、会場内の写真を改めて見て回っていると、なぜだろう、不覚にも涙が込み上げてきた。
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by koikehidefumi
| 2017-01-20 09:19
井津建郎写真展「ブータン 内なる聖地」再訪 (於:コニカミノルタプラザ)。 「圧巻」「凄すぎて言葉がでない」「別次元」といった感嘆の声が日々ネット上に並ぶが、14×20インチの大型カメラで捉えられた精緻な作品の佇まいは、凛としてひとえに美しい。たとえば世に言う聖地に立つと、何か目に見えない気配がしんしんと自分に働きかけてくるのを感じることがある。井津さんの写真はまさにそんな感じだ。 以前、オリジナルプリントを拙宅でご本人から見せて頂いたことがある。 あのときも雑然とした拙宅の居間空間が一瞬にして清冽な気配に包まれたのをありありと覚えている。ふだんはめったに写真展などに足を運ばない妻が、井津さんの在廊日に合わせて先日会場についてきたのも、静謐な光を湛えた作品の力とその人柄に強く魅せられてのことだろう。 『ブータンへの旅を重ねて、初めて人間を撮影したくなった。この国の人々の自我の少なさに感じ入り、もしかしたら人の心奥深くにある聖地を写し取れるかもしれないと思ったからだった』 今回の展示に際して井津さんはそのような言葉を寄せられているが、「この国の人々の自我の少なさに感じ入り」というところに、ぼくはブータンの人々と並んで写真家自身の姿をそこに重ね合わせてしまう。以前、みずからの創作姿勢について井津さんは次のように記している。 「主義主張を作品に託することを控えて、あくまで見たモノを冷静に写し取るようにしているが、それを作品にまで昇華させるには、そのモノを明晰かつ、微細な意識で見る、そして僅かな気配さえも感じ取れるような動物的な本能も磨く必要がある。(風の旅人 Vol42)」。 そうした言葉を思い出しつつ、会場でひとり静かに写真と向き合っていると、自意識を消してこそたどりつける世界がある、ということに、そしてそこから放たれる透徹な美しさに、震えるような感動を覚えてしまう。 写真家をたとえて「眼の狩人」という言い回しがある。 現実世界に視線を放ち時間と空間を一瞬にして切り取る写真家の所作には、たしかに狩猟民と共通するところがあるのかもしれない。 撮るものと撮られるもの。 見るものと見られるもの。 主体と客体。 写真行為にはそういった主客二元論から逃れがたい側面がある。 しかしその一方で、主客と客体というような二項対立的な見方を徹底的に斥ける考え方が世界にはある。仏教、とりわけ禅などがそうだし、あるいはインド風にいえば梵我一如ということになる。己を虚しくしてこそたどりつける世界。自分というものがどんどん微細になってゆき、しまいには相手そのものになってしまう。ヨガが最終的に目指すところもそこにあって、たとえばインドのヨガ行者などは、「いま私は風になったよ」とか「いま私は水になったよ」とか口にする。 たとえば前者の主客二元論を西洋的概念だとすると、後者はアジア的世界観ということになるのだろう。そしてニューヨークに長らく暮らす井津さんが、アジア的世界観を創作活動の核に据えているのが興味深いところでもある。 そう、それについては忘れがたいことがある。あれはたしかはじめてお会いした日の夜のことだった。当時吉祥寺にあった「風の旅人」の編集部からの帰途、新宿方面に向かう最終の中央線のなかで、ぼくは井津さんにこんな質問をしたことがあった。 「ニューヨークといえばそれこそ生き馬の目を抜くような競争社会、強靭な自己主張の世界というイメージがあるのですが、そこで何十年にも渡って第一線で活躍されるというのは、やはり日々戦いというか、自己アピールを強くしていかなくはいけないわけですよね」 ぼくがそんな短絡的な質問をしたのも、井津さんの佇まいがあまりにも朗らかで穏やかだったからだ。 写真家とは名ばかりのぼくのような者にもとても丁寧に接してくれる。そして、その答えを聞いてぼくは心底驚いてしまった。自分の生き方が心底恥ずかしくなってしまったといっていい。とくに気負ったところもない自然体で井津さんはにこやかにこう言われたのだ。 「ぼくはそういった面を反面教師として活動してきたのだと思います。そうしていまも写真界の末席で活動をさせてもらっているのです」 聖地の写真や聖地を撮る写真家というのは少なくないけれど、井津さんの写真からは聖地そのものの気配が伝わってくる。だからその写真を前にして言葉をなくしてしまうのは、たとえばチベット高原の彼方にカイラス山を仰ぎ見たとき、あるいは斎場御嶽の拝所から不意に久高島を望んだとき、あっと息を飲むあの感覚に近いのかもしれない。 ただ、ここでいう聖地とは写真に写るブータンの人々や風景のみを指すのではない。写真には井津建郎というひとりの写真家の内なる聖地が静かに写し取られているのではないだろうか。 「写真が芸術の仲間入りを果たす以前、十九世紀の作品の数々に魅力を感じる。そこには芸術家の声高な主張や自我表現よりも、対象にまっすぐに向き合い、熟練の技術と感覚で、当時の新世界とその住民、あるいは自分の住む世界を写し取っているからである。そして百年以上の時間に耐えてきた存在理由と、写真家の意識下の芸術性を感じるからである(風の旅人 Vol42)」 井津さんについては書きたいことがまだまだたくさんあるのだけれど、展示も残すところあと二日、あとはご自身の目で確かめて欲しいと願うばかりだ。いささか尻切れとんぼだけれど、あす日曜日、お時間がある人はぜひ! 拙宅にて時計回りに、井津建郎氏、石川梵氏、斎藤亮一氏、マスノマサヒロ氏 ![]() #
by koikehidefumi
| 2016-05-21 09:45
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