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先日わけあってアラスカの写真を整理していたとき、上の写真が見当たらずに首をひねっていたところ、今日になって、これは北海道の北方民族博物館で撮影したものだったことにようやく気づいた。 これは何かというと、疑似餌だ。オヒョウなどの底魚をおびきよせるためのもので、彫刻されているのはクマだという。カナダの北西海岸で使用されていたものらしい。 北方民族博物館では、貴重な縁から学芸員の方の丁寧な説明を聞くことができ、とても素晴らしい時間を過ごすことができた。このほかにも儀礼用の仮面だとか衣装だとか、より精緻かつ華美なものもむろんたくさんあったのだけれど、ぼくの中ではこの疑似餌が何よりも印象深い。 まず自らの食料を得るために、つまり直接的な生存のためにこのような彫琢をほどこす意志が凄い、と思う。なおかつそれがルアーのように魚ではなく、クマであるところに効率と簡便さを超えた霊的な切実さが感じられて、思わずラスコーの壁画などを思い出してしまう。人が生きてゆくというのはかくものっぴきならないものなのだなぁと、頭が下がるとともに、自らの生命の惰弱さを改めて省みさせてくれる。 内的欲求を何かの形にしようとする精神の苦闘の痕跡。 ちょっと大袈裟かもしれないけれど、それはたんなる鑑賞物を超えて、この日常の中において見る者を生命の根源的な問いへと駆り立ててくれる。
by koikehidefumi
| 2009-07-08 22:10
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