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先日、夏休みで帰省していた妻や子供たちが東京に帰ってきた。 およそ二週間ほどだが、実家の家族や学生時代の友人たちと楽しい時間を過ごしてきたようだ。そこで、ある面白い質問を受けたのだという。 「東京では『ゲゲゲの女房』みたいな生活を送っとるん?」 テレビのない生活を送っているので詳しい内容はわからないが、それがNHKの朝の連続ドラマでいま放映されており、そこそこ評判になっていることは知っていた。 たしか一昨年ぐらいだったろうか、その原案本の「ゲゲゲの女房」が出版されたとき、新聞の書評でたまたま紹介記事を目にしていたので、おおよその内容は想像がつく。 たしかその書評では、著者である水木夫人が路傍の雑草を眺めて、「いくら貧乏でもこの野草を煮て食べれば飢え死にはしないでしょう」というエピソードが披瀝されていた。 それを読みながら、この発想は凄いよなぁ、といたく感動したのをよく覚えている。それを実行するかしないかはおそらく大して問題ではないだろう。そうやって視点を入れ替えることによって、心の踊り場を作り、前向きに生きていこうとするそのしなやかな感性に圧倒されてしまったのだ。 それでは、たとえばぼくの心の踊り場は何かといえば、やはり旅の経験に尽きるだろう。 食うや食わずの旅をしながら、食うや食わずの人々と日々触れ合っていると、人間どうやっても生きていけるもんだなぁ、ということが皮膚感覚としてわかってくるものだ。 世界には何をしているのかよくわからないけれど、それでも逞しく生きている人間がおそろしくたくさんいる。一方、決められた時間に決められた場所に行って決められた仕事をしている人など、おそらく世界の総人口の一割にも満たないのではないだろうか。 沢木耕太郎さんもどこかで書かれていたが、日本を離れて第三世界をわけ入るように旅していると、どこでも生きてゆける、という自信がおのずとついてくるものだろう。 最近は、テレビの前に座っているだけで世界中を旅することができるようになった。だから実際にその場に足を運んでも、それは追体験に過ぎないのではないか。そんな旅をしても仕方がないのではないか、という声も耳にする。その理屈もわからないではないが、しかし本当にそうだろうか、とぼくなどは思ってしまう。 テレビの紀行番組を見て、生きる自信を得たという話は聞いたことがないし、ましてや、自分の世界観がひっくり返ってしまうようなことは決してありえないだろうから。 さて、「東京では『ゲゲゲの女房』みたいな生活を送っとるん?」という質問だが、それは水木さんの赤貧時代を指しているのか、それとも売れっ子時代を指しているのか。 ちなみに我が家にはテレビがない。さらに言えば、部屋に備え付けのエアコンも今夏一度も使わなかった。 むろんそれで不満はなく、家族一同それなりに楽しく暮らしているのだが、それを他人が耳にしたら、「ゲゲゲの女房」的にはきっと赤貧時代と重ね合わされてしまうのだろうなぁ。
by koikehidefumi
| 2010-09-02 03:33
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