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こことのところ仏教にまつわる本を読み続けている。正確には仏教そのものというよりも、そこに向けられた眼差しについて少し考えてみたいと思ったのだ。 今年の春先だったか、友人に誘われて「仏教ルネッサンス塾」という会に足を運んだ。文化人類学者の上田紀行氏を中心とした集まりで、氏の言葉をお借りすると、それは「この困難な時代に仏教はいったい何をなし得るのか!『時代を切りひらく仏教』の探求が<仏教ルネッサンス塾>の目的です」、となる。 仏教についてはこれまで興味や親しみをずっと抱き続けてきた。仏陀が悟りを開いたブッダガヤをはじめ、初説法を行ったサルナート、仏教大学の遺跡が残るナーランダなど、インド滞在中に多くの仏跡と巡りあった影響が大きいのだと思う。 もっとも現在のインドでは、仏教はヒンドゥー教の一部に吸収されており、純粋な仏教徒は1パーセント程度とされている。だから荒廃の進んだ仏跡もなかにはあるのだが、それでもかの地で仏像や仏塔と対面していると、仏陀は実在者であったのだなぁ、という気持ちがふつふつと湧いてくるから不思議なものだ。日本でそんな気持ちが湧いてきたことはいまだかつて一度もない。日本だとまず寺院の歴史やたたずまいに目が行ってしまう場合がほとんどだと言っていい。 「寺院なんて風景のひとつにしか感じられませんでした」 かつてオウム真理教のひとりがそんなことを言ったように記憶しているが、おそらくその言葉の意味するところが、寺院に対する多くの日本人の実感と言えるのではないだろうか。少なくとも都市生活者などは、コンビニや美容院やスタバの方が、足を運ぶ頻度からも価値が高いと思いはじめているのではないか。 そうした背景には葬式仏教と揶揄される寺院側の問題も大きいだろう。 ただ有名な仏教用語に「足るを知る」という言葉があるが、もし国民全員が「足るを知る」と悟ってしまえば、ものの売れ行きが大幅に落ちてしまうのも避けがたい事実だ。つまり社会発展のためには大量消費こそが美徳である、とする時代には、人の心が仏教から離れてしまうのも当然であったといえそうだ。 ところが前回のブログにも少し書いた通り、ひと昔前(高度経済成長期)までは前近代的と冷たくあしらわれて事柄が、このところ復権の兆しを見せはじめているかに感じられるのだが、仏教などまさにそのひとつに挙げられるのではないか。 たとえば前出の「仏教ルネッサンス塾」で出会った若手僧侶たちの発言などとても開かれた感があったし、彼らの一部も参加しているネット上の仮想寺院「彼岸寺」の活動などは、とてもフレキシブルで目が離せないものがある。 http://www.higan.net/ ちなみに日本には約70.000の寺院が全国に点在しているという。これはものすごい数字ではないだろうか。たとえばあのトヨタにしても、全国支社に系列の販売店を加えたところで遠くそれに及ばないだろう。 この70.000という数字のポテンシャルにぼくはとても注目している。もちろん宗教の怖さについては世界中の紛争地から連日耳に届いている。だがその一方で、この国の自殺者は年間3万人を超すという事実もある。 バブル崩壊以降、新たなパラダイムを模索するなかで仏教から学ぶことは多い気がする。かつてのビートニクスと禅との交わりではないが、せめてその存在を身近なものにする上でも、70.000という数字が担う力はとりわけ大きいように思っている。
by koikehidefumi
| 2007-11-28 23:57
| 仏教!?
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