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![]() 宮城の被災地を訪れて、まず脳裏に蘇ったのが一枚の写真だった。 子供のときから何度も目にした東京大空襲の写真である。 そこでは下町一帯が焦土と化していたわけだが、ここ宮城の被災地も、見渡す限りのすべてが破壊し尽くされていた。 異臭が立ち昇る平坦な土地の上を冷たい風が吹き渡っていた。 風上の方に目をやると、午後の陽射しを浴びた大海原がきらきらと輝き凪いでいた。 大いなる自然はただ存在する。 ひたすら静謐で、かぎりなく威厳に満ち、 人間の思い入れや共感とは無関係に、ただ美しく。 壊滅した町と、その背後に広がる穏やかな海を眺めていると、上記の惹句が思い起こされてきた。 大好きな言葉だった。 しかし、その言葉がまぎれもなく真理であろうと、持参したわずかばかりの支援物資を避難所で手渡した時と同じように、眼前の風景からは言い知れぬ無力感が立ち昇ってくる。 この風景とどう向き合えばいいのだろう。 現場に身を置き、全感覚を開き、どのようにみずからの体験として内在化させてゆけばいいのだろう。 「言葉は無力です。物理的に無力です、それは石も木々も動かさない。けれどもその無力さが発火させ誘発する行動がある。そしてその行動がどれほどまたさらに無力でも、その無力さをもってしか変わらないことが世界にはある」(菅啓次郎) そうした言葉に勇気づけられながら、僕自身、これから写真とどう向き合ってゆくのか、改めて問い直されている気がするのだった。おそらく、われわれの一人ひとりが、みずからの場所で、この体験とどう向き合ってゆくのか、今後問われてゆくのだろうと思う。 久しぶりのブログ更新になったけれど、震災が起こったのは、ガンガサガールの写真の編集が佳境を迎えた頃だった。 ガンガサガールの祭りは、潮の満干が重要な意味を孕んでいる。 人々は力強く押し寄せる水という存在に、大いなる生命力を感じ、全身全霊で祈りを捧げる。 波頭に激しく頭を打ちつけ、海を讃えるその姿には、歓びが満ちあふれていた。 だが、今回の天災を境として、同じ写真も見え方がガラリと違ってきてしまった。 沐浴をノー天気に礼賛することなどもうできはしないだろう。 彼らがなにを希求し、海という自然とどう切り結ばれようとしたのか。 それをもう一度深く問い直してみなければといまは思う。 大いなる自然はただ存在する。人間の思い入れや共感とは無関係に、ただ美しく。 ![]() ▲
by koikehidefumi
| 2011-04-05 06:49
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