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気づくと7月。 まるで東南アジアの雨期のようなスコールと湿気に見舞われる日々が続く。 ヒトの心も身体も風土と密接不可分の関係を持っているとすれば、生活のペースもあのモンスーンアジアの民のようにスローダウンしないと息絶えてしまうのではないか。 ……というのはただの言い訳。 池袋のジュンク堂書店で行われている「風の旅人」フェアが7月10日までと残すところあと三日となった。 6月10日にはじまって以来、ジュンク堂に足を運ぶたびに一階雑誌コーナーの巨大壁面を見上げ、そこにぎっしりと並べられた創刊号から40号までの軌跡にガツンと圧倒されてきた。 見上げていると、ざわざわと胸のなかでうごめくものがあるのだけれど、それがなかなかうまく言語化できない。そう思ううちに、昨日ある資料を求めてジュンク堂に行ったところ、フェアも残すところあとわずかだと改めて気づいた。 表紙の変遷は一見の価値あり。 むろん中身は熟読の価値あり。 残すところあと三日。機会があればぜひ足を運んでみてください。 深く、静かに、未来への心を耕してくれます。 http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-ikebukuro.html #
by koikehidefumi
| 2010-07-08 08:37
先日、今回のインド滞在中に出会った女性と銀座でカレーを食しながら、サドゥーについて色々とレクチャーをしてもらった。 サドゥーというのは出家修行僧で……と書いていつもここで手がとまってしまう。 というのも、彼らの存在が日本人の思い描く出家修行僧に見合うかどうか、つねにためらいが生じてしまうからだ。 サドゥーといっても一所不在の遍歴の徒もいれば、庵を設ける者もいる。 サイババもいわばサドゥーなら、ときおりテレビや雑誌で目にする奇怪な修行に励む行者もサドゥーといえる。 ただそれを説明しはじめると、ヒンドゥー文化の源泉にまでさかのぼる必要が生じるのでここでは割愛するとして、その夜サドゥーの話をしながらふっと思い出しのは、次のようなことだった。 もうだいぶ以前のことになってしまうが、ヴァラナシという聖地であるサドゥーと連日会話を交わしていたことがあった。物静かで冷静な人柄で、それでいて社会事情や時事問題にもおそろしく詳しい人物だった。たとえば米中関係からインドの経済発展の行方まで、その情報量と見識には目をみはるものがあった。とにかく現実的かつ合理的思考の持ち主で、サイババなんかはただのマジシャンでしょう、とさらりと切って捨ててしまう。 ところが、話題が彼の師匠に及ぶと、「私の師匠はいまもヒマラヤ山中に暮らしていて、今年で183歳になる」とか口にするのだった。いったい183歳とは、この非現実性はなんなのだろうか、あるいはまっとうな記事に落とし込むにはどう処理すればよいものか。 好むと好まざるに関わらず、生まれてこのかたずっと近代的理性に親しんできた者には、やはりインドはなかなか手強い相手と思わざるをえないのだった。 ぼくがはじめてインドに行ったのは1990年代の半ばのことで、その頃はオウム真理教信者やあるいは元信者だったという日本人が結構いた。あの事件以降、脱会したものの日本に自分の居場所はなく、インドにたどりついた人も少なくなかったようだ。それでは、インドが彼らの約束の地になったかというと、そのような話を耳にしたことがないし、いまはスピリチュアル系と呼ばれる人も多いようだけれど、インドにしっかり根を張る人は思いのほか少ないように見える。 それはなぜなのだろうと最近少し考えていたのだけれど、ふと思い浮かんだのは、インド人が口にするスピリチュアルと日本人が思い描くスピリチュアルが似て非なるものなのではないか、ということだった。 もっとも、これも単なる思いつきのひとつに過ぎないけれど、それを思いついたのは今朝ベランダの鉢植えに水をやっていたときのことだった。 生育十数年めにしてついて枯れてしまったかに見えていたハイビスカスに、今朝、微細な新芽が吹き出してのを発見していたく感動を覚えたのだけれど、そういえば、インド人は自然を愛でるなんてことはまずしないよなぁ、とふっとそのとき思ったのである。 おそらく、インドのあの荒々しく過酷な自然環境のなかでは、そういう発想はなかなか生まれてはこないのだろう。彼らの自然観の根底にあるのはまず畏怖と崇敬ではないだろうか。だから、花を飾るにしてもそれは自然の化身である神々に対してであり、それをたとえば自分のために生育していたり、自己愛的に生活の場を彩るということはほとんどない。 そしてまた、インド人というのは自我が強く、詭弁強弁を繰り出しながらこちらににじり寄ってくる一方で、相互扶助の精神もとりわけ強いという一面をもつ。モノを欲しがる一方で、不要不急のモノは惜しげもなく人に与えてしまったりすることも多い。 おそらく、彼らは自然に対しても、人に対しても、他者との関係性のなかで自分の営みが成立していることを常に意識せざるを得ないのではないだろうか。そして、その他者との関係性のなかに、彼らの言うところのスピリチュアルがあり、神秘があるような気がするのだ。 一方、自然を愛でることが、ひいては箱庭的ガーデニングになってしまうおそれのある現代日本人であるぼくらなどは、ややもすると、自己愛の肥大化を招きかねないとはいえないだろうか。そして、その自己愛の行き着くところにスピリチュアルであり、神秘への盲目的な憧憬であるように感じられてしまったりもするのである。 もっとも、ここでは自己愛的スピリチュアルの良否を問いたいのではない。ただ、インドを伝える上でその乖離をきちんとふまえなておかないと、何か大きな誤謬を犯してしまうような気がして、メモ的にざっと記してみようと思ったまでだ。 ちなみに、ハイビスカスを漢字で記すと仏桑花(ブッソウゲ)。 沖縄南部では後生花と呼ばれ、死人の後生の幸福を願って墓地に植栽する習慣があるともいうから、いまや都会のベランダで現代日本人の慰みものと化しているあまたの草花も、かつては彼岸と此岸を結ぶ貴重な媒介物であったのかもしれない。 #
by koikehidefumi
| 2010-06-17 12:22
| 論考!?
先日、青山ブックセンターで行われた写真家石元泰博さんのトークショーの後、そのお弟子さんにあたる方と夕食をご一緒する機会を得た。 石元さんといえば89歳にして現役の偉大なる写真家。 孤高の道を歩むゆえに露出は少ないけれど、その作品の多くは日本をはじめアメリカ、カナダなどの主要美術館に所蔵されている。 今回お弟子さんからいろいろとお話をうかがいながら、改めて納得させられたり、あるいはその撮影姿勢に畏敬の念を覚えたりしたのだけれど、ふっと思い出されたのが、「ツキのない写真家はダメだ」という氏の言葉だった。 「ツキ」とは単なる偶然ではなく、ある必然のもとにもたらされるものだろう。 そしてそれを呼び込むにはおそらく集中力、つまり本人の意識の強さが重要になってくる。 石元氏は写真に対してとにかく厳しい方のようだった。撮影終了後のタクシーのなかで、納得がいかずに現場に取って返したことも一度や二度ではなかったらしい。その強い気持ちがツキを呼ぶのだろう。いや、それはツキなどではなく、写真家の真摯な働きかけ対して、世界もまた真摯に応じているだけのことなのかもしれない。 さて、そんなことを思い出したのも、それでは自分はどうなのよ、とふと思ってしまったからだ。より率直にいえば、「ツキはあるんだけれどそのせっかくの出会いを成就させる実力がともなわないなぁ」という思いが募ったからだ。ツキはあるけどツメが甘いのである。素晴らしい瞬間に立ち会うんだけれど、それを最良の形で表現する力が足りないのである。 たとえば、今回撮り下ろしたインドの写真もそうで、奇跡的な出会いが重なって、通常では撮れない場面で撮影ができたりもして、実際のところ評判も悪くはないのだけれど、個人的にはまだまだまったく食い足らない。 今年ももうすぐ半分を折り返そうとしているけれど、後半は基本に立ち返って数量を撮ってみようかと思う。石元氏も、あるいは森山大道氏も、量のない質はないと口にされているのだから。 #
by koikehidefumi
| 2010-06-11 00:12
日本に戻りました。 予想通りというか不徳の致すところというか、意気込んだもののブログは一度の更新も果たせず、気づくと帰国の日とあいなっていました。 1ヶ月弱の旅程でしたが、感覚的には800メートル中距離走を全力で走りきったようなもので、40度を超える炎熱の中を、ひたすら撮影と移動に費やしていたような気がします。 むろん書きたいことは多々あります。 幸い出会いにも恵まれ、得るものの多い旅になったことは間違いありません。 とりわけ、クンブメーラではインドの底力を見せつけられたような気がします。あの熱狂と張りつめた緊張感。ナーガサドゥたちとともに行進していた時間は、なにか彼岸を歩いていたような不思議な感覚がいまも身体に残っています。 さて、インドは変わったのか。 最近そうした文脈で語られがちなインドですが、そしてぼく自身、はじめはそれをひとつの視点にインドを捉えようとしていましたが、取材の深まりとともに、それはどうも違うのではないか、と思うようになりました。変わるとか変わらないとか、新しいとか古いとか、そもそもそれを気にしているのはわれわれだけで、当の彼らはそんなところに価値基準を設けていないのではないか。 あの国に流れる時間はどうもグリニッジ時計台の刻むものとは別種のもののようです。 これから旅を反芻しながら、そこに流れていた時間についてゆっくりと想いをめぐらせてみたいと思っています。 #
by koikehidefumi
| 2010-05-03 09:03
インドに来ています。 途中立ち寄った北京ではその変貌ぶりに目を見張りましたが、インドはほとんど変わっていないと言えそうです。 もちろん、携帯を手にする人は増えたし、国産の代表車だったアンバサダーの姿は激減しましたが、そんなことなどまるで些細なことに見せてしまう熱気と臭気が渦巻いています。 そう、人間の喜怒哀楽がはじけるさまはまだまだ健在だといえそうです。 今回のメインはハリドワールのクンブメーラ。 3年に一度開かれるヒンドゥー教最大のお祭りで、期間中に訪れる人の数はおよそ7000万人とも1億人ともいわれています。 ハリドワール入りする前に、ヒマラヤに暮らす友人を訪ねる計画もあり、今晩の夜行で早々にデリーを離れます。都市部を離れるとけっこう難しいかもしれませんが、いまのところはブログもできるだけ更新してゆきたいと考えています。 それにしても、出発前の慌ただしい日々のなかで、綱渡り的に諸々の締切をクリアーしたつもりですが、納品物はすべて無事に届いているでしょうか。何か問題があればご連絡ください。よろしくおねがいいたします。 中国の変化でもっとも目を引いたのが人々の表情、とくにサービス業の人々の微笑みだ。そのソティスフィケートされた表情と広告の洗練度が見事にリンクしている気がした。 インドはまるで変わっていない。だからぼくが撮る写真も15年前とほとんど変わっていない。その成長の乏しさに溜息をつきつつ、それでも生活を十分に楽しんでしまうところがぼくとインドで見事にリンクしているところかもしれない。 #
by koikehidefumi
| 2010-04-07 01:23
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