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![]() 日頃なにかとお世話になっている石川梵さんの新刊を再読。 この四月に刊行された『祈りの大地』 (岩波書店)と『伊勢神宮』(集英社新書)だ。どちらも長い年月が費やされた力作であり、その重層的な内容とあいまって読むたびに新たな感情が沸き起こってくる。 すでに多方面で紹介されているようなので、ぼくは自分が知る範囲で書いてみようと思うのだけれど、梵さんの行動を見ていてまず唸らされるのは、その勝負勘の鋭さだ。 新刊「祈りの大地」には、東日本大震災の際にだれよりも早く現場に駆けつけた様子が記されている。その素早い判断力とそれを行動に移す瞬発力には、ただただ圧倒されてしまうばかりだ。 昨年、インドで催された大祭「クンブメーラ」の現場でもそうだった。 祭りがはじまった当初、梵さんは報道陣用に設営された櫓の上にいた。だが祭りがクライマックスを迎える瞬間には、もうここしかないというベストポジションに電光石火で移動して、カメラをがっちりと構えているのだった。 と、こう書いてしまうと簡単に聞こえるかもしれないけれど、会場はなにしろ数千万人の群衆がひしめく熱狂と混乱のインドなのだ。行動のシミュレーションを事前に思い描くなんて絶望的に不可能だったし、またあの大群衆のなかをどうやって移動したかも謎といえば謎だった。 まったくどうしたらあんな迅速かつ的確に動けるのか。 長年の経験? 直感? あるいはアフガンやスーダンといった紛争地をかいくぐってきた矜持? もちろん理由はそれらすべてなのだろうけれど、今回「祈りの大地」を読み終えて改めて感じたことがある。それは梵さんはやっぱり根っからの「勝負師」なのだなぁ、ということだった。 梵さんの出発点が将棋さしにあることは以前から知っていたし、「棋士」イコール「勝負師」というのもステレオタイプな見方かもしれない。けれどもその判断力、胆力、直感力、あるいは見切りをつける力といったものが、その修業時代に錬磨されたと考えると妙に納得してしまうのである。 以前、雑談中にこんな話を聞いたことがあった。 将棋の修業時代、アパートに帰って布団に入り天井を見上げると、その木目が将棋盤に見えてなかなか寝付けなかった、というのだ。その集中力といい次の一手を見極めようとする思考力といい持続する執着力といい、まさに三つ子の魂百までではないが、当時培われた勝負師魂がいまもしっかりと息づいているのではないか、とつい思えてしまう。もっとも、以前そんな話を本人にしたところ、「そりゃないでしょう」と軽くいなされてしまったけれど…。 と、どうでもいい感想が長くなってしまったけれど、この「祈りの大地」のなかには、クンプメーラの祭礼や将棋の修業時代や、さらには伊勢神宮から東日本大震災にいたるまでの梵さんの写真家としての軌跡が重層的に語られている。 風景というのはそれぞれの立ち位置によって見え方がまるで違ってくるものだ。とすれば、世界中をめぐり地球の脈動を見続けてきた写真家にとって、あの大震災の光景はどのように映ったのか。 読み進めてゆくうちに浮き彫りになってくるのは、この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと知ったいま、われわれはどのようにして生きてゆけばよいのか、という根源的な問いだ。 自然と向き合って生きるということは、サクサクとお手軽に便利に、こちらの都合に合わせて現実が立ち上がってくるわけではない。そのことを身を持って知る写真家は、あの災厄を自分ごととして捉えるべく現場に何度も足を運ぶ。記憶と現実が交錯し、縦糸と横糸を編みこむようにして紡がれる言葉は、どこまでもリアルで切実だ。またひとつひとつの言葉はもちろんのこと、さらに目を見張らされるのが全体を貫くその謙虚なまなざしだ。 声高に何かを訴えかけようとするのでもなく、いたずらに情緒的に語ろうとするのでもない。想いの強さに引きずられて自意識過剰になりがちなノンフィクションにおいて、この真摯な姿勢には学ぶところがとても大きい。 大いなる自然にわれわれは生かされている、と写真家は言う。 その謙虚な想いが言葉だけではなく、作品全体に通奏低音のように響いているところに、世界の「祈り」の現場を見続けてきた写真家の凄みが顕現しているのではないだろうか。 ぼくがはじめてカメラを手にした90年代の半ば、梵さんの活動範囲の広さはとにかく凄まじいものがあった。伊勢神宮から銛一本で鯨を仕留める伝統捕鯨のドキュメントまで、あるいはインドネシアの壮大な葬礼から世界の火口の空撮まで、雑誌を眺めながらこの人はいったい何者なのだろう、という感覚を抱いたのをよく覚えている。 と、そんな90年代のことを思い出していたら、同じように当時よく読んでいた沢木耕太郎のある作品のことが蘇ってきた。「地図を燃やす」。まだ20代の駆け出しだった沢木が、すでに世界的指揮者になっていた小沢征爾を取材したものだ。「30歳までは何でもできると思っている。ところが30歳をすぎると自分に可能なことが地図のようにはっきり見えてくる」。 小沢征爾のその言葉に、 沢木は強い印象を受ける。そして自分も30代を迎えたとき、その地図がありありと目の前に浮かんでくるのを感じはじめる。しかし、沢木は強い決意とある種の願望を込めてこの作品を次のように締めくくるのだ。「脳裏に浮ぶ地図をどうしたら燃やし尽くせるのだろうか」と。そう、地図を燃やせ、と。 なぜこの作品を思い出したかというと、それは梵さんが自らの半生を省み、内面への旅を試みることによって、自らの地図を燃やし尽くし、また新たなる軌跡を描こうとしているのでは、と感じられたからだ。 生かされているという大いなるものへの畏敬の念を抱きつつ、われわれ人類はただ手を合わせて慎ましく暮らしてきただけではなかった。自然と謙虚に向き合いながらも、ときに無謀とも思える型破りのエネルギーで生存の場を切り開いてもきたのだ。アフリカの大地を旅立ち、海を渡り、雲の流れに天候を予測し、野生獣を仕留め、そうやって懸命に生き抜いてゆこうとする力が、人間の可能性をどれほど大きく押し広げてきたことだろう。梵さんの代表作のひとつでもある「海人」は、まさに自然と真摯に向き合う人間の生きる力をまざまざと伝えてくれるものだった。そして3.11以降、われわれ一人ひとりが生き方を改めて問い直されようとしているいまこそ、自然と人間が織りなす神聖で壮大なあのような物語を、梵さんにもう一度届けてほしいと熱望するのはきっとぼくだけではないだろう。 「いま世界はグローバリゼーションの大波にさらされて、画一化して、すでに空っぽになってしまったと 思うでしょうが、それは、ちがう。空虚になったのは社会なのです。世界はそうじゃない。ヒマラヤや、砂漠や、海は、厳然としてそこにある。世界はまだまだ 広くて多様性に満ちている」 ぼくが敬愛する宮内勝典さんの言葉だが、梵さんがこの言葉を具現化できる数少ない写真家の一人であることは間違いない。 静謐な祈りのような作品を経て、今後さらなる一歩をどう踏み出すのか。 研ぎ澄まされた勝負師魂をたぎらせて、 近代の枠組みにとらわれたぼくらの脳裏の地図を鮮烈に燃やし尽くしてくれたらいい、と思う。 #
by koikehidefumi
| 2014-08-09 16:13
![]() 場所は吉祥寺のカフェ「ヒ トト」。 ヒトトを訪れるのはこれで二度目になる。 前回観たのは齋藤亮一さんの展示「佳き日」。齋藤さんの澄み渡った写真がヒトトのぬくもりのある空間と呼応して、とても豊かな気持ちにさせてくれるステキな展示だった。 今回、大橋さんが展示するのは長年取材してきた伝統食にまつわるものだ。 展示タイトルは「壷中の天」。 「壷中の天」とは、「壷の中に仙人のすむ別天地がある」という中国の故事に由来するという。 具体的には壷の中に醸された伝統食をとらえた写真なのだが、そうひと言で説明するのが憚れるほど、そこに写し込まれた食物たちの生命力、みずみずしさには目を見晴るものがあった。 大橋さんの写真を観ていてふと思い出したのが、最近どこかで読んだ武芸の話だ。ちょっと長くなるがそれはこんな話だった。 剣というのは自分の力で扱うものではなく、逆にそれを持つことによって自分の身体が整えられるのだという。そして狂いなくそれを構えると、足の裏からエネルギーが身体の中に流れ込んできて、そのエネルギーが剣先に宿るのが感じられるという。 つまり、世にいう達人たちは、自分が主体となって相手に切り込んでゆくのではない。そうではなく、自分というものを野性の力の通り道として介在させることによって、自分ひとりでは到底持ち得ることのできない力を顕現させるというのだ。 たとえば、ふつうは鉄製の甲冑を剣で斬ることなどまず不可能だろう。だが、科学的には不可能とされるそうした力を発揮する達人が世の中にはいる。それは、 彼らが自らの身体を良導体として自然界のエネルギーを透過させ、その自然の力を人間の世界に顕在化させているからにほかならないという。 大橋さんの写真を観ていると、まさにそれと同じようなことを感じてしまう。 食物に宿る生命の精髄。 それがカメラを構える大橋さんの身体を透過し、人間世界の一枚の写真の中にきっちりと顕現しているように見えてしまうのだ。畢竟、その描写はどれも厳かで清々しい。そう、まるで神降ろしをしたかのように。 どの写真も心を踊らせてシャッターを切った、と大橋さんはいう。百年以上も同じ製法で作られ続けてきた奇跡的な食の現場に、自分がこうして巡り会えたことがなによりも嬉しかったらしい。 その無上の悦びが惜しげもなく壷中の世界に捧げられた写真たち。ある一点への集中の極限において心の夾雑物は完全に消え去るというが、己をむなしくして相手に寄り添う写真とはまさにこういう作品のことをいうのだろう。 展示7月7日まで。 吉祥寺「ヒトト」にて。 #
by koikehidefumi
| 2014-06-15 16:25
![]() ![]() 桑原甲子雄「トーキョー・スケッチ60年」より。 1975年文京区大塚。この写真は1993年の「ラブ・ユー・トーキョー・桑原甲子雄・荒木経惟写真展」でも展示されていたのでよく覚えている。具体的には丸の内線新大塚駅前の三叉路だ。1975年だから当時ぼくは11歳。 そしてもう一枚は2014年の文京区大塚。早いものであれから40年近くが経ってしまった計算になる。40年後にまた定点観測をしてみたいけれど、その頃ぼくなどもうとっくにこの世には存在していないはずだ。それを思うと、自己増殖を重ねる都市の生命力ってやっぱりすごいなぁ、とシャッターを切りつつ実感。 #
by koikehidefumi
| 2014-06-05 09:01
![]() 鬼海弘雄さんの写真展「INDIA 1982〜2011」のステートメントを読みながら、改めて沸いてきたごく個人的な感想を少しだけ。 というのは、タイトルにもなっている1982年〜2011年という時代が、ぼくの記憶のなかでとても意味深いものに思えてきたからだ。 時代には節目というのがある。もちろんそれは人によってまちまちかもしれないけれど、たとえば太平洋戦争が終結した1945年、それに続いて学生(全共闘)運動やカウンターカルチャー高揚期の1969年。そのあたりがぼくの思い浮かべるまず最初の時代の節目。 そして、次に来るのが1982年ということになる。ぼくがちょうど高校生の頃だ。当時、ひょんなことからカリフォルニアのある家庭に居候させてもらった時期があった。向こうの高校をなんとか卒業して、そして一年ぶりに日本に帰ってきてみると、日本がなんとカリフォルニア!なっていて、えらく仰天したことがあった。1982年のことだった。 とにかく「陸(おか)サーファー」って言葉が出現した時代だった。街中にはヤシの木立やらオープンカーやら砂浜やらのポスターが溢れかえっていた。純喫茶はトロピカルカフェになり、友人の兄貴がやっていたスナックはカフェバーになっていた。スナックの壁を飾っていた「トラック野郎一番星!」のポスターは鈴木英人のイラストに差し替えられ、カーテンで閉ざされていた窓際にはバドワイザーやクアーズのネオンサインが輝いていた。なによりも驚いたのは、友人たちのファンションの変化だ。そり込み頭でドカジャンとかスカジャンとかを着て頭の悪さを競い合っていたぼくの仲間たちが、一年振りに顔を合わせてみると、サラサラのヘタースタイルで「O'NEILL」とか「UCLA」とかのトレーナーを着て爽やかに変身していたのだ!これには心底ぶったまげた! 街も人も、どこまで明るく軽薄になれるかを競い合ったような時代だった。それと同時に、生活の隅々まで管理が行き渡り、あらゆる面に効率や利益を重視する経済原理の支配が確立されたのもこの時期だった気がする。つまり、戦後の急激な経済成長がひと段落して、いまに続くいわゆる消費社会がスタートしたのがあの時代ではなかったか。 ここで話を戻すと、そんな白々と浮き立つ東京の街を、あの鬼海さんがどう彷徨っていたのか。まったく想像しがたい。そして、そんな日本をあとにして鬼海さんはインドへ向かった。奇妙な明るさに包まれてゆく日本をあとにして見たインドの風景は、写真家にとってまた格別な意味合いを持ったのではないだろうか。 さて、もうひとつの時代の節目としての2011年について。この年が何を意味するかは記憶に新しい。東日本大震災。津波と原発事故を目の当たりにして、自分たちの繁栄がいかにもろく危ういものの上に成り立っていたか、誰もが一度は省みた一年だったはずだ。 つまり、1982年〜2011年という時代には、日本における大量消費社会の享楽と挫折の軌跡がくっきりと描き出されているのではないか。そして、この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと悟ったいま、わたしたちはどのような未来を思い描こうとしているのか。実際、わたしたちの価値意識は震災以降変わったのか、変わらなかったのか。大量生産、大量消費、大量廃棄による資本主義とその根底にある成長神話の終焉を誰もが目の前にひしひしと感じながら。 そんなことをぼんやりと考えながら、鬼海さんのステートメントを改めて読み返してみる。すると、祈りにも似たその慈しみ深い言葉がしんしんと胸に響いてくるのだった。 『今や人間はあまりにも急激な文明の進歩に、世界の誰でも舵が壊れた舟にのっているような気分になって近未来にさえ不安を抱き立ち竦んでいるようにみえる。プリミティブな旅は、懐かしさは単なる過去への一方的視点だけではなく、身体性に裏打ちされた「未来への夢」を育むかもしれないという妄想を募らせてくれる。人類は、現在私たちが思い込んでいるよりはるかに美しい生きものだという仮説の舟が、未来への時間を運ぶはずだと…』 インドを旅した人間に向けられる定番の質問がひとつある。 それは、「インドに行くと人生観が変わるって言われていますが、どうでしたか?」というものだ。その質問を受けるたびに、YESともNOとも言えずに口ごもってきたけれど、鬼海さんならきっとこんなふうに答えてくれるのではないだろうか。いや、こんなふうに答えてくれならいいな、とつい思ってしまう。 「人生観が変わったというのはちょっと違う気がするな。そうじゃなくて、むしろ自分は間違っていないんじゃないか、ここに帰ってきただけなんじゃないか、そう思えて少しホッとしたな…」何千年に渡って脈々と受け継がれてきた人間の営みにはそれだけで普遍的価値があるのではないか。「懐かしい未来」と題されたステートメントのなかで写真家はこう記している。 『雪に閉じ込められる(私の生まれ育った)村と、椰子がゆれブーゲンビリアが咲く南国の村の暮らしぶりが似ているといえば、ふしぎに響くかもしれない。だが、人間の自然に包まれた質素な暮らしは、本来、古今東西さほどの違いはない』 #
by koikehidefumi
| 2014-05-17 15:32
![]() もう先週末のことになってしまったが、鬼海弘雄写真展「INDIA 1982-2011」のオープニングレセプションに行ってきた。 鬼海さんの写真はいつまで観ていても決して飽きることがない。先日もまったくそうだった。レセプション中はきちんと作品と向き合いづらいので、早めに行ってじっくり拝見して、それから一度珈琲でも飲んで改めて出直そうと考えていた。ところが作品に見入っているうちに、あっと言う間にパーティーの開始時刻になっていたから驚いた。一時間半ぐらいはずっと観ていただろうか。集中力もリテラシーも欠如した自分にとってはとても珍しいことだ。 多様な関係性が映り込んでいる写真作品のことを、「目の滞空時間が長い写真」と友人の写真家が言い表したことがあった。鬼海さんの写真はまさにそんな感じだ。想像力が写真の外側、フレームの外側にまで延びてゆき、気づくと自分がインドのその場に立って360度見渡しているような錯覚に陥ってしまう。 それは昨今多く見かけるコンセプトありきの写真とは対極をなすものといえるのかもしれない。 感性やらセンスやらで世界を強引に切り取って見せられたところで、それは結局その人の自意識を見せられているに過ぎない。世界の奥深さを超える宇宙的才能の持ち主ならばそれも成立するだろうが、そんなことはあろうはずもない。 鬼海さんの写真を見ていると、人の想像力を掻き立てるには、思わせぶりなアイディアやセンスなど必要ないことがストレートに伝わってくる。そもそも鬼海さんの写真は世界の隅々までがくっきりと写し込まれている。にも関わらず、その作品群は観る者に想像力というか深々とした問いを残す。しっかり写っているのに余白があるというこの凄みは、いったいどこから来るのだろう。 「自分を表現しようとしているうちは写らないんだよね」 以前そのようなことをおっしゃっていたが、その言葉がすべてを物語っているのかもしれない。 インドに限らず、人間の日常とはじつにさまざまな要因が影響し合って成り立っている。その一瞬一瞬はまさにその場限りでありながらも、そこには過去と未来の時間が確実に流れ込んでいる。そんな深遠な世界を、たかだか一介の個人が、感性とかセンスとかで切り取ろうというのがそもそも傲慢なのではないか。 「自分を表現しようとしているうちは写らないんだよね」その言葉には世界と向き合う表現者のあるべき姿がはっきりと明示されているようにも思われるのだ。 そう、鬼海さんは言葉の人であり、ロゴスの人でもある。 だからその文学的な力で世界を分析し、解釈し、コンセプトや意味付けを行って、世界を自分の方に引き寄せてしまうことなどいともたやすいことだったろう。だが、お会いするたびに「撮れなくてね」と口にしながらも、厳格なその表現姿勢が崩れることは決してない。 自己表現ではなく、他者表現に徹すること。それが異文化体験を超えて普遍的写真にたどりつく唯一無比の方法ではないか。そう改めて教えられたような一夜だった。旅写真を超えようとして超えられずにイジイジと立ちすくんでいるぼくのような人、必見! 5月9日(金)〜6月16日(月)まで キャノンギャラリーS #
by koikehidefumi
| 2014-05-12 15:21
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