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最近はもっぱらFACEBOOKの方に書き込みをしています。 http://www.facebook.com/#!/hidefumi.koike.9 ブログとうまく切り分けができればと思うのですが、とりあえず近況はそちらの方で確認してもらった方が早いかもしれません。 今後なんとか両立させてゆきたいと考えてはいるのですが。 #
by koikehidefumi
| 2012-09-03 18:48
先日の三連休は天候にも恵まれ爽やかな気持ちで過ごすことができた。 なかなか行けなかった川内倫子写真展にもようやく足を運ぶことができた。 会場となった東京都写真美術館には本当に大勢の人々がつめかけていた。 ポストカードや図録を扱う一階のショップも大盛況。写真集の棚の前などは結構な人だかりができており、もしかしたら写真って人気ジャンルなの?!と思わず錯覚しそうなほどだった。ちなみに写真展の方は映像が良かった。 東京都写真美術館のある恵比寿からの帰路、自転車で青山霊園を抜ける。 真夏を思わせる暑さのなか、霊園に入るとすっと気温が下がり、樹々を吹き抜ける風が心地いい。 思えば都心のド真ん中にこんな広大な森があるというのも不思議なものだ。 六本木通りの喧噪が嘘のように静まり、風音や蝉の音が耳元で高鳴ってゆく。 それと同時にアスファルトの輻射熱が弱まり、土と植物の湿気が足下から這いのぼってくる。樹々の梢越しに見える青空が広い。爽快な気分でペダルを漕いでいると、ここが都内であることを一瞬忘れてしまいそうになる。 やがて自転車は赤坂消防署の前をすり抜け、霊園をあとにしてゆく。 青山通りに出ると人と自動車の流れが一気に押し寄せ、日常の感覚が全身によみがえってくる。むっとした熱風が顔面に吹き付ける。しかしなぜだろう、霊園内の静けさに数分のあいだ包まれていただけで、まるで長いトンネルを抜けたかのように眼前の日常風景が妙に新鮮に感じられてしまうから不思議だ。 この静から動への転換はどこかで経験したものだなぁ、とペダルを漕ぎながら記憶をたどってゆくと、やはりそれはインドなのだった。 ガンジス川に舟を漕ぎ出し対岸から戻ってくると、帰ってきたなぁという感覚にとらわれる。とくに死体を静謐な水面に放ってのち此岸に戻ってきたりすると、異界と世間との境界が曖昧になって、彼岸からの風がふっと首筋を吹き抜けてゆくように感じられることがある。 ずいぶん前のことになるけれど、その越境感覚をなんとか写真に定着することはできないか、と青山霊園をはじめ谷中や雑司ヶ谷などの墓地を撮影して回ったことがある。 だが、しばらくして行き詰まってしまった。 表現しようという下心をもって異界と往還しようとしたのがそもそも間違いのようだった。 いや、原因はもっとシンプルかもしれない。力量が足りなかったのだ。技術も意識もまるで未熟だったのである。外国に行ってちょっと珍しい習俗や自然や子供なんぞをパシャパシャ撮って、はい写真家ですなんてうそぶいてしまう底の浅い人間に、世界の奥行きが写し取れるはずないではないか。 ぼくにとって異界と日常を越境する写真家の筆頭は、先日亡くなった深瀬昌久氏だ。5年ほど前にラットホールギャラリーで見た「鴉」の展示はまさに戦慄的だった。 われわれが生きる日常社会とは生者だけで構成されているわけではない。 死がしのび込んでくる静けさのなかに人々の営みは存在しているのである。 「生」と「死」が別の次元ではなく、同じ時間のなかに交錯していることをその写真群は語っていた。 魂という身体や生命を超越する何かがあるかどうかはぼくにはわからないけれど、間違いなくその写真群はぼくの魂のどこかに刷り込まれてしまったようで、いまも日常生活のなかに、あの不気味なシルエットが不意に浮かんでくることがある。死の力に突き動かされることによって発せられる霊的な気配とともに。 そして、それ以来かもしれない。 先日蒼穹舎ギャラリーで観た染谷學さんの「道の記」は凄かった。 そこに映し出されていたのは、われわれの何気ない日常にぽっかりと空いた異界への通路だった(…と感じた)。 すれ違う男と女はまるで彼岸と此岸を行き交う越境者のようだったし、さらには、風に逆巻く女の黒髪に映える微細な光や、埠頭にたたずむ人々の視線の先には、異界への入り口がぼこりと口をあけていたのである(…と感じた)。 生きている人間だけではなく、社会の構成メンバーの中に自然や死者を含めるのが日本人の社会観というものかもしれない。だから写真においても、死者を弔う祭礼や、墓所や、あるいは死者そのものを撮った作品がないわけでない。だが、どれも現実をただなぞったようなものばかりで、その背後に広がるもうひとつの時間を垣間見せてくれる作品というのは本当に少ない。それはつまり、本物の写真家が少ないというところに収斂されてゆくのだろうが、そのなかで氏の作品は視線の射程がまったく違う。前作の「ニライ」もそうだったが、その視線は日常をつらぬきながら外へ外へと、より広大無辺な無窮の世界へと延びてゆく。 そんなことを考えながら、外苑東通りを北へ向かって自転車を漕いでいたのだけれど、それにしても外国に行ってちょっと珍しい習俗や自然や子供なんぞをパシャパシャ撮って悦に入っている者からすれば、そのステージの違いにペダルを漕ぐ力も萎えてゆくのだった。 それで四ツ谷三丁目の交差点を蒼穹社方面に左折しようかとも思ったのだけれど、こんな話をして面倒くさい来訪者の烙印を押されるのも気が引けたので、おとなしく自宅のある護国寺方面に直進することにする。 ちなみに、先日居酒屋で呑んだ際に聞いたところによると、「道の記」のシリーズはこれからまだまだ続いてゆくのだという。死の力はさらに人を終わりのない行為へと再出発させてゆくのだろう。 (必見。7月22日まで) ![]() #
by koikehidefumi
| 2012-07-19 21:11
反原発デモの取材に首相官邸前にゆく。 報道の通り自発的に集まったと見える人々が粛々と列をなしている。 デモ開始時刻は18時だが、時間の経過とともに隊列は膨れ上がってゆく。 まるで朝のラッシュ時のように仕事を終えた人々が続々と地下鉄出口から溢れ出してくる。 彼らが隊列の最後尾へと急ぐその後ろ姿がよかった。 大半の人々は一人で足早に歩いてゆくのだが、一人で来るというその自発的な姿勢に、言うに言われぬ意思が宿っているようで見ていて清々しかった。70年安保などは付和雷同者も多かったと聞くが、降りしきる雨の中三々五々に遠ざかってゆく傘の群れを見ていると、人々の本気度が伝わってきて気持ちが高揚してくるのを覚てしまう。 また女性たち、とくにヒールを履いた仕事帰り風OLたちの毅然とした態度には脱帽だった。 警察官を一喝して規制線を突き破っていったのもスーツ姿のエレガントな女性だったし、その規制線の警官にこんこんと涙目で語りかけ続けているのも可憐なイヤリングをした女性だった。 どちらも一人でデモに参加した女性たちである。 ちなみに総数としては男女半々、あるいは男性の方が若干多いようにも見受けられたが、ここからそう遠くない新橋あたりの飲屋街でくだを巻いているようなオッサンたち、つまりぼくなんかと同世代のサラリーマン風はとても少ない。 これも時代というもなのだろうか。 ところで、話は少し飛ぶけれど、ここでふっと思い出したことがある。 これまでの経験に照らしてみると、たとえばぼくがどこかの編集部に企画を出したとして、「これは面白いから上司と喧嘩をしてでも通します」などと言ってくれるのは絶対に女性だった。そして実績がどうのこうのとか、「コケるとぼくが首になっちゃいますから」などとモゴモゴいうのは決まって男性なのである。 どこかでリンクするよなぁ今日の光景と。 いまの時代、既成の価値観に縛られず変化に敏感なのはやはり女性たちなのかもしれない。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2012-07-07 06:54
昨夜はあるイベントでスライドショー&トークをやらせていただいた。 主催者も参加者もほぼ二十代半ば、旅と写真と音楽と映画をミクスチャーしたイベントだった。 以前だったらこうした集まりは敬遠するというか、旅はひとりでするものだし群れるのは嫌だなぁ、という拒絶感の方が強かったけれど、いまは結構楽しんで参加させてもらうことが多い。 良きにつけ悪きにつけそれが自分の枠組みを確実に押し開いてくれると思えるからだ。 たとえば、取材旅行に家族を連れてゆくなんて頭がおかしいんじゃないのと思っていたけれど、今冬のインド取材などはまさにその通りだったわけで、昔の自分にしてみればにわかに信じがたい。 自分がどこまで変化してゆけるか? それもおそらくひとつの旅。自分のちっぽけな枠組みなどぶち壊してどんどん新しいことをやってゆきたいものだ。 ![]() 機材・Nikon D700 ,Carl Zeiss Distagon T* 28mm/F2.0 ZF #
by koikehidefumi
| 2012-06-25 19:33
週末に渋谷でスライドショーをやらせてもらうことになっていて、昨日はその作品をピックアップしていた。 テーマは「ガンジス」。 ただガンジスといっても最近はヴァラナシなどあまりポピュラーな場所では撮っていない。そこで昔のポジなどを引っ張りだしてきて久しぶりに眺めてみた。 もっとも古いものは1995年の撮影。 機材はオリンパスのOM-1。中野のフジヤカメラでDランク保証なしを10000円ぐらいで買ったものだ。 もう17年も前のことか、と思いながら、とっさに17年という数字が出てきたのも、連日耳にする菊池直子潜伏17年とか、17年の逃亡の末に高橋克也逮捕という報道が大きく影響してのことは間違いない。 あの年は1月17日に阪神淡路大震災が発生し、そして3月20日にオウムのサリン事件が起こった年だった。そんな騒然とした空気にあと押しされるようにして、4月の初旬にはじめてアジアの旅へ向かったのをよく覚えている。 だれでも簡単に海外旅行にゆける時代、「旅」にあまり意味付けをするのもリキみ過ぎかと思うけれど、旅はいつも時代と密接な関わりのなかで行われてきた。 たとえば金子光晴は、5年にわたる海外放浪の出発点を関東大震災に見いだし、その天災について次のように記している。 「なんらかの意味で、過去の完成に支えられていた僕自身の精神の拠点が(関東大震災によって)揺らぎだしたとともに、日本の崩壊も、そのときにはじまったようにおもえてならない」 金子光晴の旅はそうした違和感を抱えての道行きだったことだろう。 そしてたとえば、藤原新也は近代化する日本への違和感を携えての旅だったに違いない。時代や社会に違和感を覚えず充足した日々を過ごしていれば、だれも旅に出る必要などもしかしたらないのかもしれない。 「金とセックス以外にいまの日本に何があるのですか」 1995年、ある小説家が青山のオウム教団事務所でインタビューを行った際、信者の一人がそう答えたという。バブルは崩壊していたとはいえ、まだ享楽の余燼がくすぶっていた時期だった。小説家はたしか返答に窮したのだったと記憶している。 同じ時代を生きる者として、ぼくもどこかそんな違和感を携えて当時日本をあとにしたのだと思う。そしてふと気づくと、17年間「ガンジス」というイコンを抱いて生きてきたのだなぁ、と思うとき、17年間尊師の写真を抱いてきた高橋のことが、ちょっと切なく思えたりもするのだった。 #
by koikehidefumi
| 2012-06-21 16:25
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