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本橋成一写真展「屠場」を見に銀座ニコンサロンへゆく。 日常から隠蔽された生命の現場風景に息をのむ。 倒木が養分となって新たな芽吹きを生み森を育むように、われわれの生命も他者の死の上に成り立っていることが可視化され伝わってくる。 展示された写真を見ながら、樋口健二氏の写真集「原発崩壊」をふと思い出した。 原発下請け労働者の放射線被曝の実態を活写した、現代日本の闇を映し出す労作だ。 原発が生み出した被曝労働者の数はすでに50万人に達するという。 原発が差別の上に成り立っていることは、下請け、孫請け、ひ孫請け、人出業(親方制度)という重構造の前近代的労働形態が示す通りだ。 屠場も原発も、生と死が同居し、生と死が明確な規則性を持たずに同じ時間世界のなかに存在している空間のように見える。けれども、両者で働く人々の表情の隔たりは、あまりにも大きいような気がしてしまう。 本橋さんは作業員の姿に威厳を感じたという。 「それは、いのちを奪うものとして長い差別の中で彼らを支えてきた職人としての誇りで はないか。その誇りを保ち続けてきた源は、日々のいのちとの関わりではないだろうか」 津波の被災者と原発の被災者では、復旧復興への心持ちに違いがあるとよく耳にする。自然生命がもたらす災禍と人工物による災禍。それがそのまま似たような差別構造のなかで働く人々にも現れているような気がして、原発再稼働決定以来のやるせない気分が増幅してゆく。 そんなときに、会場で写真家の山下恒夫さんとばったり遭遇。「もうすぐ奥山さんの写真展もはじまりますね」そんな話をしているうちに気分もやや晴れ、帰宅。久しぶりにブログを書きたい気分になった次第。 #
by koikehidefumi
| 2012-06-18 23:20
写真展には予想をはるかに上回る大勢の方々にお越し頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。 一人ひとりの方々とゆっくりお話をしたかったのですが、私の手際の悪さもあってそれもかなわず、この場を借りて深くお詫び申し上げたいと思います。 自分のなかでは反省点ばかりが目につく展示でしたが、石川梵さんがご自身のtwitterの中に次のような感想を記して下さいました。 『 昨日小池 英文さんの写真展「海と人のあいだ」を見た。浪間で、戯れ、祈る人々の姿が冥界を漂うようでもあり、彼岸と此岸を行き来するようでもあった。インドの深く淀んだ世界が不思議な透明感をもって描かれていた。撮りつくされた感のある印度だが、まだまだ新しい表現の可能性を感じた。 ご本人に聞くと、3.11直前に撮った写真だが、それ以降でまたかなり写真のセレクトが変わったという。写真からそんな印象を受けたのはそのせいかもしれない。ただ、私が時間がなく、あまりじっくり見て、お話しすることができなかったのが残念だった 』 写真展は貴重な意見や指摘を受けることができる場ですが、このような言葉を頂戴するとたいへん励みになるものです。 石川梵さんといえば、現在は吉祥寺美術館で「The Days After-東日本大震災の記憶」を開催中。そして、来月からはキャノンギャラリーで「人の惑星(ほし)」展がはじまります。 そのようなご多忙な中、わざわざ足をお運びいただき本当にありがとうございました。また、2012年度日本写真協会作家賞受賞、心よりお喜び申し上げます。 それにしても、このtwitterをリツイートして下さった「風の旅人」の佐伯さんをはじめ、本当に多くの方々との出会いによって自分の活動が支えられているのを実感せずにはいられません。 これからまだまだ暗中模索の日々が続きますが、進路を見定めじっくりと進んで行ければと思います。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2012-04-24 23:58
早いもので写真展まであと一週間。 今日の午後、大判の写真にパネル加工を施して製作はほぼ終了だ。 久しぶりに早朝の散歩に出ると、桜の花が満開になっている。 自分の作品と向き合う日々を終え、気持ちを外向きにカラリと切り替えてゆきたいものだ。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2012-04-07 06:45
そして打ち寄せる波は、彼岸というもうひとつの世界がそこに広がっていることを伝えてくれたことだろう。また波根に頭を打ち付ける人々は、その大きな生命の流れのなかに自分の生命を結びつけようと試みているのかもしれない。 彼らは神話を架け橋にして、遠い自然を人間の世界に引き寄せてきた。 一本の水の流れを「ガンジス」と名づけ、意識の交流をはかろうとしてきた。 それは荒ぶる自然を畏れ続けて生きてきた人間の、魂の技術ではなかっただろうか。そして祈ることは、何かを願うのではなく、耳を澄ましてその声を聞くことではなかっただろうか。 海に祈りを捧げ続ける人々を眺めていると、そんな想いが日々膨らんでゆく。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2012-03-31 16:38
ひとつの神話を内包する海に通いはじめて十二年の時が過ぎた。 ガンガサガール島。 そこはガンジス河が海に到達する最後の聖地だ。 ![]() なだらかに傾斜する遠浅の海を沖へ向かって歩んでゆくと、そのまま別の世界につながってゆくような奇妙な開放感が心に広がってゆく。 とくに冬の朝、水面の薄靄が陽の光に滲むとき、いま自分は神話が生まれる場所に立っているという確信に包まれてしまう。 海には多くの人々が訪れる。 泳ぐため、釣るため、潜るため、バカンスを楽しむため、人が海へ向かう理由はさまざまだろうけれど、人は祈るためにこの海にやってくる。遠い昔から繰り返され、そして未来へつながってゆくその祈りの風景に包まれていると、時間のスケールがいまを飛び越え、永遠の一瞬に自分が立ち会っているのが実感されてくる。川の流れが海にそそぎ、やがて陽の光に暖められて空へ昇り雨となって降り注ぐように、人も生と死を繰り返しながら今日まで生命を受け渡してきたのだ。 その連綿と続く生命の流れの中で、人はいつも自然に問いかけ続けてきた。息をつめ、耳を澄まし、目の前の自然とその背後にはがれる精妙な理に気を配り続けてきた。 それが自分たちの生存を支える唯一の手だてだと気づいていたのだろう。 陽の光は生命を育み、雨が大地を潤すことを人は学んだ。 また月は生命のサイクルを、死者は見えない者の存在を教えてくれたことだろう。 #
by koikehidefumi
| 2012-03-30 21:48
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