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写真展までおよそ2週間。 写真のセレクトもほぼ終了した。 ここのところずっと自分の写真を見直していたわけだけれど、見れば見るほど自分の力量不足が浮き立ってきて、正直なところ少々げんなり気分。人によって違うのだろうが、自分の写真や文章とまっすぐ向き合うのは結構苦痛だ。とはいっても、そこから学んでゆくしか新しい自分と出会うすべがないのも確かだろう。 だから、作品は生涯にわたる中途報告のようなもの。 そう定義させていただき、できる限り多くの方々に写真展に足を運んでもらい、ご意見が頂戴できれば幸いです。 そんなわけで、ブログももう少しマメに更新していかなければと思案中。 セレクトから漏れた写真を中心に少し継続してゆければいいのだが。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2012-03-29 09:39
| 写真展・美術展
![]() 久しぶりの更新です。 まだ一ヶ月以上先ですが、写真展を開催することになりました。 以下、詳細です。 〈会場〉 コニカミノルタプラザ 〈日時〉 2012年4月14(土)〜4月23日(月) 10:30〜19:00(最終日は15:00まで) 無休 入場無料 〈企画趣旨〉 聖なる大河が海と出会う場所。ガンガサガールはガンジス河口に浮かぶ小さな島だ。 かつてガンジス源流から河口まで一年あまりかけて旅したことがある。それ以来この島の神話的風景に魅せられて、再訪を重ねて十年以上が経つ。 河に比べて海辺の沐浴は躍動感に富むものだ。 人々は打ち寄せる波に身を投げ出し、頭をすりつけ、歓喜の声を放つ。それは海に生まれた生命の記憶が、打ち寄せる波に呼応して、喜び勇んでいるようにすら感じられる風景だった。 そして2011年3月11日、東日本を襲う津波の様子を見つめながら、まず思い起こされたのがガンガサガールの風景だった。TVに映る海の猛威に目を剥きつつ、あの沐浴風景を、「自然を崇める敬虔な人々」などと今さら安直な言葉で括ることはできないと感じた。 ではなぜ、彼らは一心に海に祈るのか。歓喜に身を震わすのか。 After The Flood —大洪水の後で、私はそれをもう一度問い直してみたいと思った。 (プレスリリースより) #
by koikehidefumi
| 2012-03-06 21:19
来年の四月、新宿のコニカミノルタで写真展をやらせてもらうことになった。 連絡をもらってすでに一ヶ月以上が経つので、展示デザインについて色々と考えを巡らせているのだが、どうもすっきりしない。 理由は簡単。 作品がいまひとつ足りないのだ。 テーマは今度も「水」。それも「波濤」が基軸。 そこでおりをみて自分の作品を眺め回しているのだけれど、首をひねりつつ最後にいつも頭に浮かんでくるのが、森永純さんの「波」の写真だ。 ![]() 上のような写真を眺めていると、時間が経つのをつい忘れてしまう。 それはたしかに「波」なんだけれど、眼を凝らすと生や死や時間や宇宙的記憶といったものが波の背後から沸き出してきて、激しく揺さぶられてしまう。 「見えないものを見えるようにする」と言ったのはパウルクレーだ。 だが、絵画と違って写真には見えないものは写らない。 本物の写真が開示してくれるものとは、見えていても普段は見落としてしまうもの、日常の背後に横たわる根源的な事象、それを改めて気づかせてくれるところにあるのではないか。 とすれば、それをもっとも強くぼくに働きかけてくるのが森永さんの写真だ。 そんな理由からここ数週間氏の写真が頭からずっと離れないでいたのだが、先週末のこと、ある会に足を運んだら、なんとそこでご本人とお会いする機会に恵まれた。出会いとは本当に不思議なものだ。 といっても、せっかく紹介していただいても、緊張のあまり、「大ファンなんです」などと口走ってしまう始末だったけれど…。 森永さんの写真は、「河」と「波」のシリーズがとても有名だが、それに加えて、「水滴の風景」という現在進行形のシリーズがある。2年前のエプサイトでそれをいくつか拝見したとき、その神々しいまでに澄み渡った世界観に写真の前から動けなくなった。いまわの際が写っている。どうすればあのような曇りなく透明な眼差しを獲得することができるのだろうか。 「たしか二年ほど前、エプサイトで水滴の作品を拝見したんですが、今後発表されるご予定は?」 そう尋ねると、少し照れたように苦笑しながら、 「なかなか思うように進まなくて…」 と深々と腰を折られた。 デジカメで1000枚のオーダーを一日にこなす時代のなかで、恐縮したように苦笑するその姿に触れたとき、一枚の写真の重みを改めて突きつけられたような気がした。作品が足りない? ならばさらに撮ればいいんじゃないでしょうか。そう問われているような気がした。 どのみちいくら作品を眺め渡しても、写真が生起してくるわけでもない。 四月の写真展に向けて、年明けからまた旅に出てみようと思う。 #
by koikehidefumi
| 2011-12-07 07:25
妻と子供たちを連れて藤原新也「書行無常」展にゆく。 小学校の廃校を利用した大規模なスペースに大判の写真と書が並ぶ。 今年の春に銀座で開かれた「死ぬな生きろ」展がつつましく滋味に富んだ作品群で好印象だっただけに、今回の力技のような展示にはどこか肥大化した自我のようなものが感じられてしまい、なかなか興が湧いてこない。 会場内をうろうろしていると、とくに藤原ファンでもない妻が興奮気味にいった。 「すごいエネルギーねぇ!」 たしかにすさまじいエネルギーだった。 芸術という鼻持ちならないカテゴラリーをぶち壊すような奔放さが会場全体にみなぎっている。 今春の「死ぬな生きろ」展の枯山水のような展示から、今回の俗物的パワーまで、この振幅の大きさこそが藤原という表現者の真骨頂であることを改めて実感した。 きっと家族とともに行ってみようと思ったのも、今回の展示が芸術という枠組みを超えて、一生をひたすら真摯に遊び続けようとする希有な人間の生きざまを見せることができるのでは、という予感があったからかもしれない。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2011-11-25 06:36
毎年8月末に行われる水軍祭りの練習の様子。 それを眺めながら、古代史に現れるアゾミ族のことをふと思い出した。 遼東半島から琉球へ、そして奄美を経て瀬戸内にも漂着したと思われる海洋民族。大陸性弥生文化とは異なる、縄文へつながるもうひとつの日本文化の源流を生成したのは、もしかしたら彼らだったかもしれない。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2011-08-31 19:24
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