○LINK
カテゴリ
以前の記事
2018年 02月 2017年 05月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 05月 2014年 08月 2014年 06月 2014年 05月 2012年 09月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 03月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 04月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2009年 12月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
瀬戸内にはデジカメではなくローライ一台のみを持っていった。 いまや世界中からリアルタイムに映像が送られてくる時代に、瀬戸内から東京に戻り、フィルムを現像し、数枚ずつスキャニングし、ようやくこうしてアップロードに漕ぎ着けるというのも、おそろしく気長な話に感じられてしまう。 デジカメになって何が一番変わったかと言えば、画質云々よりもそのスピード感にあるような気がする。 撮った瞬間に画像が確認できるのはもちろんのこと、うまくすれば当日のうちに納品さえもできてしまう。 もちろん、それは悪いことではないのだろうが、時々、思考のプロセスを省かれているような心許ない感覚が頭をもたげてしまう。 写真はシャッターさえ押せば誰でも簡単に撮れてしまうものだ。 しかし、深みのある写真と薄っぺらな写真とでは歴然とした違いがある。 その違いは、おそらく作品が内包する時間の厚みにあるのではないか。 そんなことを思いながら、瀬戸内ではローライのシャッターをゆったりと切る日々だった。 #
by koikehidefumi
| 2011-08-29 23:32
瀬戸内をしばらくめぐって昨日東京に戻ってきた。 島というのは人間の生活様式や行動形態が純粋に温存されていることが多いもので、たとえば沖縄とか、あるいは先日世界遺産に登録された小笠原とかはそれが顕著に見てとれる土地だろう。 もちろん瀬戸内の島々からもそれは十分に伝わってきた。 都市化した社会の中ですでに摩耗してしまった本来のみずみずしさやあたたかさがいまも息づいているように思われたのだ。 これまでどこか機が熟さない気がしてきちんとレンズを向けてこなかったけれど、今回の滞在では気持ちが開いてゆく瞬間があった。 これから少しづつ瀬戸内の島々へと気持ちを漕ぎだしてゆけたらいいなと思う。 #
by koikehidefumi
| 2011-08-26 23:43
7/28のブログに記した「インドビザ申請センター東京」の前をさっき通ったところ、ビザの発給を待つ人々が長蛇の列をつくっていた。夏休みということもあるのだろう、若い学生風の姿が多く目についた。若者が海外に出なくなって久しいと言われているが、もともとニッチでコアなファンを獲得してきたインドのこと、流行に左右されることもあまりないのかもしれない。 義理の妹も我が家に数日滞在したのち、大きなバックパックを担いで元気にインドへ旅立っていった。 およそ半年間のインドの旅を予定しているという。 なにかアドバイスをと尋ねられて、あまりお節介をやくのも気が引けたので、ひとことだけ提言をした。 「地球の歩き方には載っていない町や村にもぜひ足を運んでほしい」 ぼくの中には二つのインドがある。 地球の歩き方に紹介されている土地とそれ以外の土地だ。出会う人も、食堂のメニューも、言語も、これは決して大袈裟ではなく、それぞれの違いは国の違いに匹敵するほど大きいとぼくは思っている。 とにかく一歩踏み込んでみてほしい。それに必ず応えてくれるところがインドという国の懐の深さだ。きっとかけがえのないまなざしで出迎えてくれることだろう。 #
by koikehidefumi
| 2011-08-09 17:37
数日のあいだ所用で日光に行っていた。 あれはたしか滞在2日目の朝だったか、福島沖を震源とする地震があって、日光も震度5の揺れに見舞われた。震度5といえば3.11のときの東京と同じだ。不安を感じて目覚めてしまったのも無理もないことだろう。 いま思うと、3.11のときよりも、今回の揺れの方がはるかに恐ろしく感じたような気がする。 3.11のときは揺れそのものに恐怖を感じたわけではなかった。 揺れがおさまったのち、被災の規模を目の当たりにして、改めて身震いしたようなところがあった。 おそらく、今回の方が地震という自然災害に対して被害想定がリアルだったということだろう。ゴトゴトと突き上げるような揺れが続くあいだ、さまざまな不安が頭をよぎり続けた。家屋倒壊、原発、津波。そして、このような余震がいまも続く地域では、さきの大震災の傷跡が深いぶん、揺れに対する脅威もぼくなどの比ではないだろうと思った。 地震がおさまってひと息ついたとき、ふっとこの揺れが、東京を震源としたものだったらという考えが頭をよぎった。地震というと東北をつい連想してしまうが、東京直下型についてもいつ起こってもおかしくない。 そう考えはじめると、東京の家族や子供たちのことが気にかかりはじめた。ラジオをつけると、東京に被害がでている様子はないという。少し安心したものの、再び寝入る気にもなれず、少しあたりを散歩することにした。 早朝の森はしんと静まり返っていた。 いつもとなんら変わりはなかった。その泰然自若ぶりが、地震という異変に波立つ心にとても新鮮に映った。 新緑が芽吹き、倒木が横たわる。落ち葉が土にとけ、苔が鬱蒼と生い茂る。 そこには、人の一生など一瞬のまばたきに過ぎないほどの気の遠くなるような時間が流れていた。死を孕んで生け続ける大きな森の時間。その循環する時間の流れに身を包まれていると、地震もあるいは異変などではなく、自然界に組み込まれたひとつの現象であることが静かに伝わってきた。もちろん、だからといって、それで死の悲しみがすべていやされるわけではない。けれども、それに触れることによって、不条理な死に意味を与えることはできるかもしれない。 森の時間と私たちの時間。 神話や祭りや儀礼によって、かつて二つの時間はわかちがたく結ばれていたのだろう。それが遠く隔たりつつあるいま、この先二つを繋いでゆくものとはいったい何なのだろう。 そんなとりとめのないことを思いながら、早朝の森をしばらく歩き続けた。歩むごとに、地震で波立つ心が落ち着いてゆくのを感じた。 #
by koikehidefumi
| 2011-08-05 06:35
広島に住む義理の妹がインドへ行くというので、ビザの代理申請に行ってきた。 ビザの申請といえば、以前は九段のインド大使館と決まっていた。 ところが、数年前から場所が変わった。 家の近所のインドカレー屋が模様替えをはじめたなと思っていたら、ある日とつぜん、何の因果か、そこに「インドビザ申請センター東京」なる看板が掲げられ、ビザの発給業務が行われるようになっていたのだ。 聞くと、ビザ関連の業務は大使館からすべてそこに移行したのだという。 申請も発給もいまは大使館では行っていないらしい。 ごくありふれたインド料理屋が、なぜ、とつぜん、政府の出先機関としてビザの発給業務を扱うようになったのか。 インドという国はつきあえばつきあうほど謎が深まるばかりだが、ただひとつ、たしかなことがあるとすれば、これでまたインドが少し近くなったということだろうか(笑)。 具体的には、家からビザセンターまでは徒歩にしてわずか五分たらずだ。 夕刻、建物の前を通ると、インドビザを新たに手にした人たちといつも出くわす。そして、インド行きを前にした彼らの表情がじつに面白くて、よくその場に足をとめてしまう。 パスポートに貼られたビザを確かめながら、期待に顔をほころばす女子大生風の仲間連れ。 神秘の国インドが現実味を帯びて少し不安そうな男子学生。 訪印回数は数知れずといったベテラン旅人風カップル。 どこか思い詰めた表情の悩めるフリーター風男子。 彼らの表情を眺めていると、人それぞれの旅の様子が想像されてまったく飽きることがない。 さらに、道端につっ立ってじっと胡散臭い視線を走らせていると、旅行者を騙そうと虎視眈々と狙う悪徳インド人のような気分もわき上がってきて、我ながら可笑しくなってしまう。こいつはカモだな、とか、こいつは手強そうだな、とか、無意識に弁別している自分がいるのだ(笑)。 インドからはもう離れようかな、といく度も思ったものだけれど、夕刻の散歩のたびにこうした光景を見せつけられては、なかなかそうもいかないらしい。 何の因果か、インドへの旅はまだまだつづくようだ。 #
by koikehidefumi
| 2011-07-28 15:20
|
ファン申請 |
||