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ダッカの取材はおおむね良好に進み三日間で無事終了した。 次の目的地は国境を越えてインドのカルカッタだ。ダッカとカルカッタはダイレクトバスで結ばれている。当然、はじめはそれを利用してインドへ向かおうと思っていた。ところが、ダッカで出会ったバングラディッシュ人の多くが、ビレッジサイドもぜひ見ていって欲しいと口をそろえていうのである。これには心を動かされてしまった。 もちろん、かつての旅のように、自由気ままな道行きが許される季節はもうとうに過ぎてしまった。しかし、だからといって、取材が終わりました、ハイそれでは次の目的地に移動しましょう、ではあまりに面白みに欠けるではないか。 ベンガル地方は、僕がもっとも興味をもっている地域のひとつだ。 いまは国境で分断されているが、バングラディッシュもカルカッタ周縁も同一地域といっていいだろう。 かつてガンジス源流から一年間ほどかけて河を下ってきたとき、このベンガル地方まで来てふと東南アジアや日本の匂いを嗅いだことをいまも覚えている。 湿気といい米が主食なことといい大気の色温度といい、それまで旅してきた西方インドとは明らかに違う風土性がそこには感じられた。 砂漠気候の西方アジアと熱帯モンスーンの東南アジア。その分水嶺がまさにこのあたりなのではないか。 そう強く感じたものだった。 仏教をはじめアジア文化の源流ともいえるインドの文化が、どのようにして日本に伝播されたのか。 ひと言でいえば、それがいまのぼくの大きなテーマだ。それをたどる上で、ベンガル地方はまさに第一歩を飾るにふさわしい場所に位置している。そもそも、この地域はタゴールやチャンドラボーズといった日本と縁深い人物を輩出した土地でもある。 だから今回、ダッカの空港に深夜降り立ったとき、ガンジス源流からはじまった自分の旅が、ようやくインドを離れ、日本への軌跡をたどりはじめたのをたしかに感じたものだった。 宿のロビーに張られたバングラディッシュの全土地図に目を凝らしてみた。 すると、インドとの国境付近にクシュティアという町があるのが目に留まった。 ベンガルを代表するバウルにラロンというが人物かつていた。彼の墓がクシュティアがあり、そこは「バウルの都」と称され、いまも多くのバウルが集まってくると何かの本で読んだ記憶があったのだ。 バウルは、ベンガルの古い民間信仰で一切の経典をもたず,祈りの手段として歌をもつとされている。この歌う修行者がバウルだ。バウルはインドの二大宗教であるヒンドゥーにもイスラムにも属さず、村から村へと放浪し,バウル・ソングを歌うことで生計を立てている。いわば独自の宗教観を持った吟遊詩人のようなものだ。 バウルの演奏をひと目見ようと、クシュティアに到着するとすぐにラロン廟に向かった。 ちらほらとバウルたちの姿があり、1弦琴のエクターラやドゥブキと呼ばれる太鼓を操りながら歌を奏でている。だが、どれもいまひとつ胸に響いてくれない。こうした芸能にはやはり場の力が必要なのだろう。いくら彼らが真摯に演奏してくれたとしても、相手がぼくらのようないわゆる観光客では、本源的な力が発揮されるはずもない。 またの機会を待つことにしよう。どこかの村の、菩提樹の木陰で彼らの演奏が聞ける日がくるのを。そう思いながらラロン廟をあとにした。 バウルの演奏はいまひとつだったものの、ベンガルのカミサマはささやかな美景を用意してくれていた。町の北のはずれをガンジスの支流であるゴライ川が流れており、そこの夕暮れの風景が本当に美しかったのだ。 仕事を終えて三々五々集まってきた人々が、夕闇色に染まりながら静かに川を眺めている。ただそれだけのことなのだが、人間の営みから少し離れた、もうひとつの時間がそこに流れているのを確かに感じるのだった。 眼前にはゆったりとした水の流れが広がり、そして背後には、青々と葉を繁らせた火炎樹の森。 深く、毅然としたやさしさを示す一人の老人とそこで出会ったとき、この国を隅々までゆっくりと巡ってみたい、そんな思いがふっと浮かんでは消えたのだった。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2011-01-10 00:54
![]() #
by koikehidefumi
| 2011-01-07 01:19
バングラディッシュの首都ダッカに到着。 正月のひっそりとした東京から来てみると、その凄まじい喧噪に圧倒されてしまう。 もうずいぶん前に読んだ本だけれど、「もの食う人々の(辺見庸著)」の第一話がたしかダッカだった。冒頭に、「ラッパの音に誘われて」という一節があったように記憶しているが、高らかに噴き上がる街のノイズはまさにラッパ的だ。トロンボーンやトランペットじゃなくて、ちょっと投げやりで無秩序まところがじつにラッパ的。 こうした街を歩いていると、東京の記憶がどんどん吹き飛んでいってしまう。そして、旅することの気恥ずかしさが少しづつ軽減されてくる。 昨年末、ある忘年会の席で写真家の齋藤亮一さんとお話をして、海外を旅することと写真との関係について少し考えさせられることがあった。というか、ふだん自分が思っていることを齋藤さんの口からうかがったということなのだろう。 齋藤さんといえば、海外ものの写真集をはじめ受賞歴も多数あるわけだけれど、いまは海外を撮影することにあまり目がいかないという。もうそういう時代ではないのだという思いがどこかにあるらしい。それを聞きながら、正直なところぼくもひどく同意してしまったのだった。つまり、海外を旅し撮ることに対し、ある種の違和感をぼくもずっと抱き続けてきたからだ。 「旅する写真家」とか「放浪する写真家」とか常套句はいろいろあるけれど、そこにある種の気恥ずかしさを覚えてしまうのはなぜだろう。おそらく、ぼくの場合には、かつての自分を取り巻く旅の状況が影響しているのは間違いないだろう。具体的にいえば、90年代後半、アジアの旅がひとつのブームの様相を呈していた頃の話だ。 自分も当時旅していたのだからとやかくいえる筋合いではないし、そのお陰で写真や文筆のスタート地点にも立てたわけだけれど、あの頃は、ブームの渦中にいるという気恥ずかしさがいつも拭いがたくあった気がする。単純にいえば、流行ものに飛びついちゃってダサイな?という感覚だ。ましてや、あの頃は猿岩石の影響で旅する者も大勢いた。そんなこんなで旅人というところにカテゴライズされる居心地の悪さが、いまもずっと続いているような気がしてしまうのだ。 それに加えて、海外の写真はもういいかな、という感覚は、言葉で説明をすると長くなってしまうけれど、わかる人(とくに写真家とか)にはすっと実感されることではないだろうか。とにかく玉石混淆、ステレオタイプな旅写真が巷に溢れ返り過ぎてしまった。また写真に限らず、旅や旅先で出会った人々の生活を自己表現の手段に使うというのも、すでに手垢がついた安直な手法というか、時代遅れの感が拭えない。 そんな違和感を抱きつつ、一時期その他の諸事情もあって旅から遠ざかっていたのだけれど、またこうして、旅をするという気恥ずかしさに襲われながらも、延長戦のように旅を続けている。 そういえば、昨年の秋、写真家の奥山淳志さんとこんな会話を交わしたのを思い出す。 「別に小池さんはインドが撮りたいってわけではないですよね?」 「奥山さんも岩手を撮ることを通して、人間の普遍性みたいなところに触れたいってことですよね?」 インドが専門ですか、とか、やっぱりインドを紹介したいんですね、とか問われて、そのまま話が噛み合なくなることはよくあるけれど、こういう会話からはじめられるとすっと気持ちが開いてくる。 長々と書いてしまったが、要はそういう写真が撮れるかどうかの問題に過ぎないのだ。 二、三週間のごく短い行程だけれど、年の初めにふさわしい勢いのある旅にしたい。 ![]() #
by koikehidefumi
| 2011-01-05 20:07
年明けの4日からインド、バングラディッシュ方面に行く予定があって、その取材ポイントをいま色々とチェックしているのだけれど、小さな違和感に襲われてしまうことがたまにある。 その理由を考えつつ本棚を眺めていると、谷川俊太郎さんの初期の詩作が目がとまり、はっと胸を衝かれた気がした。 「夜はゆっくりと/すべてを無名にしてゆく/空は無名/部屋は無名/世界は無名/うずくまる二人は無名/すべては無名の兄弟」 たとえばこの詩が、世界とひとつになることによって自分が意味を失ってゆくことを表しているのだとすれば、かつて自分も、そこをひとつの到達点として旅をしていたのではなかっただろうか。 この詩に胸を衝かれたのは、そんな気持ちがありありと蘇ってきたからに違いない。 言葉や写真などなんの役にもたちはしない。 自分の感覚が世界に向けて圧倒的に開かれてゆくような旅。 そんな旅を目指せるのは、若者か老境に達した人の特権なのかもしれないけれど、心のどこかに常に秘めておきたい大切な約束のような気がしてしまう。 #
by koikehidefumi
| 2010-12-01 09:00
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by koikehidefumi
| 2010-11-10 21:28
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